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研究内容

はじめに

分子集団を計算機上で「見て」理解する

分子集合系では、個性の異なる分子が集まり相互作用をすることで、多彩な性質が現れます。 個々の分子の性質から集団の振る舞いがどのように現れるのかを理解できれば、 材料・ナノテクノロジー・製薬などの様々な分野で有用な知見が得られます。

我々の用いる分子シミュレーションは、 物質を分子の集団としてコンピュータに再現し、 分子の配置や運動を実際に「見て」、分子集合系の性質を理解する手法です。 再現した物質に関する情報が計算機の中にあるため、 実験では捉えにくいことも分子レベルで理解することができます。 そのため、実験や理論と共に現象を理解する強力な手段を提供しています。

このページでは、現在行っている研究やこれまでの成果の一部を紹介します。

不均一系における物質輸送の解明

自由エネルギー地形 と位置依存拡散 に基づくマルチスケール計算手法の開発とその展開

図1: Nafionの分子構造と分子モデル

ナノメートルのスケールで不均一性を持つ物質は数多く存在し、そこで生じる物質輸送は様々な分野で着目されています。 代表的でかつ応用上も重要な対象として、燃料電池に関わる物質輸送を中心に研究してきました。

Nafionに代表される燃料電池の高分子電解質膜では、疎水的な主鎖と スルホ基などの親水的な側鎖を持つ高分子と水が混じり合うことで、 3-5 nm程度のスケールで相分離しています(図1参照)。 また、電極触媒層に用いられる多孔質カーボンも不均一系の一例で、 数nmの細孔が材料に意図的に形成されています。 燃料電池の動作時には、このような不均一な環境で酸素・水素・イオン・水などの輸送が生じています。 このような不均一な物質で生じる輸送機構を解明し、最適な材料設計を提案することは、燃料電池の性能向上にとっても重要な課題です。

不均一系で生じる物質輸送では、 輸送経路が蛇行や分断などを繰り返し、経路上には局所的には異なる 様々な状態が存在します。動きやすい領域もあれば動きにくい領域もあり、 行きやすさも場所に依存します。 しかし、こうした局所的な情報を実験のみで定量化するのには限界があり、 また、従来の分子動力学シミュレーションでも取り扱いの難しい問題でした。

そこで、輸送される分子に働く駆動力の尺度である自由エネルギー地形と、 易動度の尺度である位置に依存した拡散係数とをMD計算によりオングストロームオーダーの分解能で求め、 得られた物理量を場として利用し拡散方程式を満足する動的モンテカルロ法を実行するマルチスケール計算手法を展開しています。 また、が得られた際に、もっともらしい経路を見つけるための手法開発も行っています。

最近では、富岳成果創出加速プログラムの一環として、 自由エネルギー地形と位置に依存した拡散係数を予測する機械学習モデルを開発し、 開発した機械学習モデルにより、他の共同研究者と協力し、燃料電池カソード触媒層における物質輸送の解明にも取り組んでいます(図2参照) 。

図2: 機械学習モデル

図2: 機械学習モデルを利用したマルチスケールな物質輸送シミュレーションの枠組みの模式図

キーワード

高分子電解質膜/Polymer Electrolyte Membranes、自由エネルギー地形/Free-Energy Landscape、位置に依存した拡散係数/Position-Dependent Diffusion Constant、動的モンテカルロ法/Dynamic Monte Carlo、機械学習モデル/Machine Learning Model

関連論文

  1. T. Nagai, Nobuaki Kikkawa, Ryosuke Jinnouchi, Masayuki Kimura, and Susumu Okazaki, Journal of Chemical Theory and Computation 21, 2598–2611 (2025); https://doi.org/10.1021/acs.jctc.4c01552.

  2. T. Nagai and Koji Yoshida, Journal of the Physical Society of Japan 93, 084805 (7 pages) (2024); https://doi.org/10.7566/JPSJ.93.084805.

  3. Yoshimichi Andoh, Shin-ichi Ichikawa, Tatsuya Sakashita, Kazushi Fujimoto, Noriyuki Yoshii, T. Nagai, Zhiye Tang, and Susumu Okazaki, The Journal of Chemical Physics 158, 194803 (12 pages) (2023); https://doi.org/10.1063/5.0144361.

  4. T. Nagai and Susumu Okazaki, The Journal of Chemical Physics 157, 054502 (10 pages) (2022); https://doi.org/10.1063/5.0096574.

  5. T. Nagai, Akira Yoshimori, and Susumu Okazaki, The Journal of Chemical Physics 156, 154506 (14 pages) (2022); https://doi.org/10.1063/5.0086949.

  6. T. Nagai, Kazushi Fujimoto, and Susumu Okazaki, The Journal of Chemical Physics 156, 044507 (14 pages) (2022); https://doi.org/10.1063/5.0075969.

  7. T. Nagai, Shuhei Tsurumaki, Ryo Urano, Kazushi Fujimoto, Wataru Shinoda, and Susumu Okazaki, Journal of Chemical Theory and Computation 16, 7239–7254 (2020); https://doi.org/10.1021/acs.jctc.0c00448.

分子構造とX線散乱実験

物質のミクロな構造を実験的に解明する代表的な手法の一つが、X線散乱実験でしょう。 X線結晶構造解析によるDNAの二重らせんやタンパク質の立体構造決定がよく知られているかもしれません。 一方で、タンパク質を含む柔らかな系やアモルファス・溶液系のように決まった形を取らない系では、多様な構造が共存します。 散乱実験の結果はその平均像であり、分子構造の詳細や多様な姿は捉えにくいものです。

図3: タンパク質構造

図3: タンパク質構造の構造揺らぎの温度依存性に関する研究のまとめ

このような背景のもと、X線散乱実験と分子シミュレーションを合わせて分子構造を理解する研究に携わっていました。 タンパク質の結晶構造解析では、平均構造とともに、揺らぎの情報も得られます。 しかしながら X線結晶構造解析は低温で行われることが多く、そこで得られた揺らぎが室温での運動の指標になるのかは、必ずしも自明ではありません。 我々は、ジヒドロ葉酸レダクターゼ(DHFR)と呼ばれるタンパク質の単位結晶を計算機上に再現し、 京コンピュータを利用し低温から室温まで構造と揺らぎの変化を調べました。 その結果、機能部位には非調和な構造揺らぎがあり、 低温と室温では運動に質的な違いのあることが示されました。 つまり、X線結晶構造解析で得られる構造揺らぎから室温のダイナミクスを解釈する際には、慎重な議論が求められることが示唆されます。

また、X線散乱実験と分子シミュレーションの両面から、 高分子電解質膜の構造を調べています。計算機の性能向上やアルゴリズムの改良により、 一辺が数十nmに及ぶ系でも全原子分子動力学シミュレーションが可能になりつつあります。 その結果、広角散乱だけではなく、低領域の小角散乱とも、分子シミュレーションの結果を突き合わせることができるようになっています。 したがって、10 nm程度のメソ構造からナノメートル以下のミクロ構造までを一挙に実験と比較しながら議論できるようになっています。

近年、我々が研究対象としてきたのは、QPAF-4と呼ばれるアニオン交換膜です。高分子の側鎖のイオン交換基として塩基性のアンモニウム基を持つため水酸化物イオンなどの陰イオンを輸送できます。 計算機上で行ったX線散乱実験は、実際の実験とよく一致するだけではなく、実験では難しいスペクトルの原子種間のペアへの分割も容易に行えます。 QPAF-4の解析では、含水率の増加に伴いフッ素-フッ素間の相関が他のペアよりも進むことが確認されました。 炭化水素とフッ化炭素の疎水性の違いに起因する興味深いモルフォロジー変化を示していると考えられます。

図4: MDとX線散乱

図4: MDを用いたX線散乱スペクトルの計算とその解析の模式図

キーワード

小角・広角X線散乱/SAXS/WAXS、構造因子/Structure Factor、部分構造因子/Partial Structure Factors (Faber-Ziman)、アニオン交換膜QPAF-4/QPAF-4 (AEM)

関連論文

  1. T. Nagai, Takumi Kawaida, and Koji Yoshida, Membranes 15, 266 (18 pages) (2025); https://doi.org/10.3390/membranes15090266.
  2. Koji Yoshida, T. Nagai, Koji Ohara, Yuto Shirase, Kenji Miyatake, and Junji Inukai, Journal of Molecular Liquids 391, 123197 (5 pages) (2023); https://doi.org/10.1016/j.molliq.2023.123197.
  3. T. Nagai, Florence Tama, and Osamu Miyashita, Biophysical Journal 116, 395–405 (2019); https://doi.org/10.1016/j.bpj.2018.11.3139.

脂質二重膜の相転移と相分離に関する研究

図5: 相転移

図5: 脂質二重膜の相転移を表す自由エネルギー地形

生体膜は、細胞や細胞小器官の内外を隔て、外部との環境を区切り、物質の出入りを制御する重要な役割を担っています。 実際の生体膜には脂質二重膜に加えて様々なタンパク質や糖鎖が含まれていますが、脂質二重膜が生体膜の主たる構成要素であり、 モデル系として広く研究されています。

我々は、粗視化模型のMARTINIモデルを利用し、モデル膜として代表的なdipalmitoyl phosphatidylcholine (DPPC)で構成された脂質二重膜の基礎物性を調べました。 当時では脂質二重膜への応用が限られていたレプリカ交換分子動力学法を用いた大規模計算を実行し、温度変化に伴うゾルゲル相転移の挙動を明らかにしました。 実験で存在が知られていながら MARTINIモデルでは再現されていなかった「脂質分子が傾いたゲル相」を再現しました。

図6: 相分離

図6: (上)相分離の有限サイズ効果を現す相図。(下)脂質二重膜に挿入されたペプチドの局在位置を示す相図。

さらに、脂質二重膜の相分離に関するシミュレーションの結果をFlory-Hugginsモデルを用いて統計力学的に解析しました。 この解析を通じて、有限サイズ効果の熱力学的起源を明らかにし、相分離が生ずるのに必要な系のサイズをパラメータに基づき予言することが可能となりました。 この解析は,脂質ラフトの最小サイズを予測することにも利用できます. また、相分離した脂質二重膜上における膜貫通タンパク質の分布を解析した結果、幅広い種類の膜貫通タンパク質が相分離した界面に局在化することが示唆されました。 生体中でも、相分離界面へのタンパク質の集積が機能発現に関わっている可能性があります。

キーワード

レプリカ交換分子動力学/Replica-Exchange MD (REMD)、脂質二重膜/Lipid Bilayer、ゾル-ゲル相転移/Sol-Gel Transition、相分離/Phase Separation、フローリー・ハギンスモデル/Flory-Huggins Model、膜タンパク質/Membrane Proteins

関連論文

  1. Asanga Bandara, Afra Panahi, George A. Pantelopulos, T. Nagai, and John E. Straub, The Journal of Chemical Physics 150, 204702 (15 pages) (2019); https://doi.org/10.1063/1.5091450.

  2. George A. Pantelopulos, T. Nagai, Asanga Bandara, Afra Panahi, and John E. Straub, The Journal of Chemical Physics 147, 095101 (9 pages) (2017); https://doi.org/10.1063/1.4999709.

  3. T. Nagai, Ryuichi Ueoka, and Yuko Okamoto, Journal of the Physical Society of Japan 81, 024002 (9 pages) (2012); https://doi.org/10.1143/JPSJ.81.024002.